近年,生体細胞や生体分子を再構成して新たな機能を創発する組織工学,生体分子工学や,ソフトマテリアルの柔軟性を利用したソフトロボティクス,センサ・アクチュエータ技術が急速に発展しています.

 

実験技術の開発は大きく進展している一方,理論基盤や設計法については発展の余地が大きく残されています.特にAIやデータ科学技術をこれらの分野に応用するにあたり,数学・物理などを用いて理論的に説明可能な現象と実験データに基づいてAIにより予測するべき現象を切り分けることは,学習データやモデルパラメータの大幅な削減につながるだけでなく,技術の本質を理解することにもつながるため非常に重要です.その実現のためには,理論と実験技術の両方を理解して技術開発することが求められます.

 

以上の背景のもと,理論と実験技術の両面から組織工学,ソフトマテリアルを用いたセンサ・アクチュエータに関する研究を発展させています.

定量化・予測制御可能な細胞組織工学のための理論基盤と実証

細胞を人工的に再構成して生体組織を作製する工学技術は生体組織工学とよばれ,再生医療や創薬,バイオハイブリッドロボットなど様々な応用が期待されています.

 

生体組織工学における課題の1つとして,作製する細胞組織の再現性・均質性を担保することが挙げられます.特に,心臓や筋肉,上皮を構成する細胞は特定の方向に配向する性質を持ち,この配向性を制御することが重要となります.

 

しかし,このような細胞組織の構造設計は実験者の経験則や試行錯誤に基づいており,実験前に数値設計を行うという方法論は,まだ確立されていません .

 

そこで私たちの研究グループでは,配向性を示す細胞集団が物理的にはネマチック液晶とよばれる棒状分子の配向構造と同様な振る舞いを示すことに着目し,ネマチック液晶理論に基づいた 細胞組織の解析・設計理論を構築しています.

 

細胞配向・力学モデルの数理基盤・データ同化法

細胞配向の物理モデルであるネマチック液晶の配向は調和関数を用いて記述されることを用い,複素関数論を応用することで細胞配向構造を予測・解析する理論基盤を構築しています.

 

これまでに,私たちの研究グループは二次元空間中のどのような閉領域にも適用可能な細胞配向の陽公式を与えることに成功しました[RSOS 2022], [PRSA 2024], [SIAM Appl. Math. 2025].陽公式の導出には,等角写像やSchottky-Klein prime関数とよばれる点渦力学で用いられている特殊関数が重要であり,応用数学や流体力学の新しい展開例として注目されています.

 

この公式を用いることで,細胞配向の特異点として知られているトポロジカル欠陥にはたらく力が留数解析によって計算でき,エネルギー安定な配向構造の予測が可能となります[PRSA 2025], [Soft Matter 2025]

 

さらに欠陥の運動をあらわすランジュバン動力学モデルを構築し,マルコフ連鎖モンテカルロ法を用いることで実験から得られるトポロジカル欠陥の分布から,モデルパラメータを推測したり,配向構造のゆらぎを予測することを実現しています[npj Biol. Phys. Mech. 2024]

 

 

微細構造を利用した細胞組織の逆問題解析と制御

構築したネマチック液晶理論をもとに,顕微鏡画像から細胞組織の物性値のパラメータを推定する逆問題解析や微細構造を利用した細胞配向の制御に関する実験研究をしています.

 

例えば,右図のような中央がくぼんだような形状を持つ微細構造上に細胞を培養すると,細胞は微細構造の境界に沿って配向し,その結果としてトポロジカル欠陥とよばれる特異点(点の周囲で細胞があらゆる方向を向く点)が生成されます.

 

このトポロジカル欠陥の分布の情報から,細胞が生み出す収縮力や細胞配向のゆらぎに関するパラメータを推定することができます[npj Biol. Phys.Mech. 2024], [Soft Matter 2025].このような逆問題を解くことができるのは,上記で説明した細胞配向や欠陥にはたらく力の陽公式が応用できるからです.

 

このように,私たちの研究グループでは細胞の機械的状態を逆問題解析しやすくするような微細構造を設計することで,顕微鏡画像のみから簡便に細胞状態を推定する手法を構築することを目指して研究を行っています[CHEMINAS 51]

 

 

生体計測・細胞操作のためのソフトマテリアルデバイスの開発

生体の複雑な形状に対して柔軟に変形するセンサや細胞などの微小な対象の形状を操作するために,ソフトマターとよばれるやわらかい材料を使ったセンサ・アクチュエータが注目されています.ソフトマテリアルデバイスの開発のためには,ソフトマターの非線形現象を実験前に予測するシミュレーション技術や,再現性の高い作製技術が求められます.私たちの研究グループでは,生体計測・細胞操作のためのソフトマテリアルデバイスの要素技術の開発とその応用に関する研究を行っています.

ソフトマテリアルの非線形構造力学シミュレーション技術

エラストマーやハイドロゲルなどのソフトマテリアルの変形は非常に非線形であり,大変形に伴って座屈などのユニークな現象を引き起こします.そのような非線形性を応用したセンサ・アクチュエータを作製するにあたり,実験条件の検討や設計をするために再現性の高いシミュレーション技術が必要となります.

 

私たちの研究グループでは,ソフトマテリアルの大変形に伴う非線形現象のシミュレーション技術について研究を行っています.これまでに,ハイドロゲルの膨潤(水を吸って体積が大きくなる現象)に伴う座屈構造のシミュレーション法[Mater. Res. Express 2026]や,エラストマーばねの変形シミュレーション[Adv. Mater. Technol. 2022]などについて,実験系の研究グループと共同して研究を行っています.

ハイドロゲルや炭素材料に基づくセンサ・アクチュエータの開発

刺激応答性をもたらすことができるハイドロゲルや,ユニークな物性を持つ炭素材料を組み合わせた新しいセンサ・アクチュエータに関する研究を行っています.これまでに,レーザー誘起グラフェンとエラストマーやハイドロゲルを組み合わせたアクチュエーション方法に関する研究を複数行っています[MNC2024], [Soft Robotics 2026]